まずは、『負』の時代からですが・・・
1899年に世界選手権やW杯にデビュー後、1992年のW杯を兼ねた「フライング世界選手権」の優勝で、世界のトップジャンパーの仲間入りをしました\(^o^)/
当時のニッポンの場合、選手の置かれた環境は・・・良くなかったのでは
札幌でのW杯は、参加国枠も含め多くの選手が出場していましたが、海外遠征は、八木さん・秋元さん・・・そして、葛西選手くらいしか頭に浮かびません
(笠谷さんが、海外で試合に出場していたのは、つい最近・・・ネットで知りました・・・1972年の札幌オリンピック開催の年のジャンプ週間は3連勝し、4戦目のビジョフスフォーフェンは、参加せずに・・・国内のオリンピック選考会に望んでいます。ビジョフの大会に参加していたら、優勝し日本人初のジャンプ週間チャンピオンになっていたのではないでしょうか
)
★1992年・・・アルベールビル大会
NH → 31位 LH → 26位 団体 → ☆4位
W杯で、最初に表彰台に上がったりしたシーズンでしたが、オリンピック開催時はまだ・・・優勝も、表彰台経験もなく、いまひとつの結果でした
オリンピック後、2月に初の表彰台(3位)となり、3月にW杯を兼ねた「フライング世界選手権」で初優勝し、W杯総合成績は【9位】となりましたが、調子のピークが・・・・・オリンピック後に来た感じがします
〔オリンピックの開催時期〕〔競技への調子〕〔体調〕〔天候条件などを含む【運】〕
⇒⇒⇒ なかなか一致させるのは大変です
・・・・・次回へつづく
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