★1998年・・・長野大会
NH → ☆7位
LH → 出場なし 団体 → 出場なし
船木選手、原田選手の個人での「メダル」獲得
岡部選手、斎藤選手を含めた・・・団体戦での『金メダル』獲得
日本中が沸きましたが・・・葛西選手は「蚊帳の外」でした
⇒ NHで7位入賞したため、メディアに登場する事もありましたが・・・7位なので、当然メダルはありません。本来「入賞」もすばらしい成績なのですが、メダルに対する「日本メディア」の反応は異常なように感じますが、メダリストと行動を共にするケースが多かったため、葛西選手の悔しさが膨らんだのではないでしょうか
「リレハンメルでの、金から銀への転落」「長野での、団体メンバー漏れ」の悔しさをもって、その後闘って行く事になります
⇒ ちなみに・・・長野大会のスキージャンプ代表は8名でした!
団体戦出場の4名と葛西選手が・・・試合に出場しました
他に、試合に出場しなかった代表選手が3名いますが、出場しなかっただけに、悔しさは葛西選手以上だったかもしれませんが
〔オリンピックの開催時期〕〔競技への調子〕〔体調〕〔天候条件などを含む【運】〕
⇒⇒⇒ 今回は、直前のケガもあり、出場は個人種目1種目で、入賞となりましたが、歓喜の輪には加われませんでした
やはり、いろんな要素を一致させる事の難しさを感じます
97-98シーズンは、W杯総合成績は【10位】となり、世界のトップへ帰ってきました
★オリンピック後の大活躍は、特に印象的でした
3月にスロベニアのプラニツァの大会では、当時LHの世界最長となる147.5Mを飛んだのは、圧巻でした
※1998年3月・・・所属先の『地崎工業』が廃部したため、『マイカル』に移籍しています。あらたな苦難です
各企業の都合なので、選手にとっては気の毒です。どこのチームでも起こりえることですが、経済状況も考慮してのことと感じます
・・・・・次回へつづく