2010年・・・バンクーバーオリンピック後・・・
葛西選手ご本人や葛西選手のファンは、確実に手ごたえを感じ取っていたのではないでしょうか
★葛西選手自身も、過去のオリンピックで納得のいくジャンプは、バンクーバーの2本とおっしゃっていました
LHの2本目&団体戦の2本目・・・の2本の【大ジャンプ】
2009年頃からは葛西選手の振る舞いに変化が見え出しました
悲壮感のあった感じがなくなり、余裕のようなやわらかさが見えてきました
何事に対しても、頑張る姿勢と負けん気は変わりませんが、【年齢】と【経験】を積み重ねてようやくたどり着いたステージのようです
負けん気に・・・火がついた
2009年 ⇒ 岡部選手のW杯最年長優勝
(2009年3月優勝時 38歳4ヶ月) ※岡部選手の前は、葛西選手が記録を保持(2004年2月優勝時 31歳7ヶ月)
★その際・・・葛西選手は『孝信兄さんの記録を、更新するのは俺!』
とコメントしていました
2010年〜2013年にかけて、伊東大貴・竹内択の両選手が、W杯で活躍するようになり、女子の高梨沙羅・伊藤有希の両選手もW杯で活躍!その後、W杯や世界選手権では、『混合団体』も開催されるようになりました
2013年世界選手権の、『混合団体』では・・・金メダルを獲得しました
※メンバーは、伊東大貴・竹内択・高梨沙羅・伊藤有希の4選手です。
いろいろな、若い「ニッポンチーム」でW杯を転戦し、海外各国の若い選手と試合を繰り返すことで、『人としての・・・成熟期』を向かえ、客観的な目で周りを見ることが可能になってきました
そして、もうひとつ、《最大の要因》は・・・【技術】の進化なのでは
改良を進めてきたフォームは、バンクーバーオリンピックで手のひらで「風をつかむ」現在の『モモンガスタイル』の原型が出来上がっていました
その後、更に【両手を開き】【スキーのテールを開き】【前傾を深く】の三つの要素が加わり、現在のフォームが完成しています
他の選手が、取り組まないのはかなりの技術を要するがゆえなのでしょう
・・・・・次回へつづく